我が子を見守ることが歯がゆいときは

こんにちは!
辛いものは苦手なのですが、麻婆豆腐はなぜか食べてしまう心理カウンセラー*Harunaです。花椒の香りがポイントなのよね…。重慶飯店行きたい…じゅる。

さて、久しぶりの子育ての話です!

我が子が何かをする様子を見ていて、「なんでそうくる!?」とやきもきしたり、「あ~、そうじゃない!」と突っ込みたくなったり、挙句の果てには「違う!こうよ、こう!」と手を出して嫌がられたり…こんな経験ないですか?

私は時々やってしまいます。
我慢できなくて、つい…。

【静かに見守っているのが吉】と頭ではわかっていても、少しでも上手にやらせたい、苦労させたくない、と、良かれと思ってついつい先回りしたくなるのが親というもの。

今日は、そんな「ほんとに見守るだけで大丈夫?」という親心について考えてみます。

 

***

我が子が頑張る姿を見るのは嬉しいものですが、時にはこのまま見守るだけで本当にいいのか、もっとより良い方向に導いてやれるんじゃないか、でもその方向性が良く分からない…と悩んでしまうのが親の性というものですね。

私自身がそうなのですけれど、子育てにおいて「これでいいのか?」と感じる時というのは、思い通りに事が運ばず先の見通しが持てない時が多いのです。言い換えると、我が子が自分の価値観の枠に収まらないから不安になるということです。自分の路線で爆走してくれているうちは、不安なんて感じませんからね。

子どもを親の枠にはめようとするな、とはよく聞きます。それは確かにその通りだとは思いますが、そういう親は親失格でしょうか?親として間違った姿勢なのでしょうか?

ただ一つ確かに言えるのは、そうやって子どもを自分の枠にはめようとするのは、親として子の幸せを願うからこそなんですよね。ちょっとやりすぎたり、頭が固かったり、不器用だったり、前しか見えてなかったりするところがあるのかも知れませんが(散々な言いっぷり(笑))、みんな、自分の信じている<幸せのカタチ>を我が子にも精一杯与えてやろうとしている、まさに愛ゆえの行動だということを、私は忘れてはいけないと思っています。

そして、忘れてはいけないことがもう1つ。私たちが無意識に「我が子にこうあってほしい」という理想の子ども像を描くのは、そうなってくれれば自分が安心できるからなんです。ところが現実の子どもはその価値観に当てはまってくれるとは限りませんし、その理想像(=親自身が考えている成功の姿)が本当にこの子の幸せにつながる唯一の道かどうかは誰にもわかりません。ですから、「私は私、この子はこの子」と切り離して考えることが大事と言われているのです。

だとすると、目指したい親の在り方としては、

1.幸せを感じ取れるココロを育てること
2.自分で自分の人生を切り開く力すなわち自信(自分の力を信じること)を身に着けさせること
3.我が子にはその力があると信じ委ねること

これに尽きるのではないかと個人的には思っています(3が今日のテーマの部分ですね)。3があるからこそ2が育つとも言えますから、やはり見守りは偉大だなぁと思います。

見守りが不安になるのは、「もし~~になったら(~~できなかったら)どうしよう」という怖れがあるからです。「思い通りにいかなかったら」「悪い結果になったら」という怖れから、たちまち不安が生まれます。で、そうならないようにとあの手この手で対策をして不安をコントロールしたくなるのです。

ではお聞きしますが、
失敗はいけないことと誰が決めたのでしょう?
悪い結果になったら、永遠に悪いことが続くのでしょうか?

【人間万事塞翁が馬】なんてことわざがありますが、結局は、親自身が自分の力や可能性をどれだけ信じられているか、自分の人生をどれだけ肯定しているか、自分の手で幸せを創っていく実感を持てているか…そんなことが影響してくるんじゃないかなぁと思うわけです。ですから、まず親自身がそのような生き方をしていきましょう。子どもにとっては、親が最大の「見本」なのですから。

私にとっての幸せって何だろう?何をしている時に心が安らぐかな?うきうきするかな?そんなことをじっくり考えて、自分に幸せな瞬間を与え続けていってください。親が幸せだと子どもも幸せに包まれますよ。


心理カウンセラー*Haruna

子育てに役立つちょっとしたテクニックをご紹介

HOME

コメントはお気軽に~♪

コメント