【お悩み相談】ライフワークか安定収入か

読者の方からのリクエストです✨

生々しいタイトルですが、真剣に考えています。2人の娘の母です。6才と3才です。一定収入はありますが、部署次第では残業もあり、今は残業も少なからずあって子どもたちと向き合う時間が少ないと感じています。来年長女は小学生、次女は発達の遅れを指摘されています。母としてはこの時期できるだけ手をかけてやりたいと思います。
一方自分のペースでできる仕事もしたいと思っています。通訳案内業の資格があり、インバウンドの旅行客が増えた今はそれなりに仕事はあるようですが、今の収入には追い付かないと思っています。やりたい仕事ですが向いてるかどうかはわかりません。好きなことをやれば、と言われてしまいそうですが、娘たちには大学まで奨学金なしでいれてやるのが親の使命と思っています。その覚悟ひとつあれば仕事で怒られてへたばろうが、嫌な仕事だろうが何だってできるはず。しっかり覚悟して育てよ、好きなことすればいいじゃない?どちらに転ぶか占いでも箸でも転がせと決めるやり方は何でもいい。なんでもいいと言ってるわりに決められません。
決めないのも気分が悪いのです。
色々アドバイスをいただければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。(MIKIさん)

MIKIさん、こんにちは(^^)
仕事も子育てもプライベートも諦めない!ほどよく脱力しながら人生を楽しむ罪深き欲張り心理カウンセラー*Harunaです🌟

実は白状しますが…私も、MIKIさんと同じようなことでけっこう悩んでいるので、なんとも言えない不思議なご縁を感じながら回答させていただいています(笑)私も色んな人に話を聞いてもらって、色んな意見をもらいました。

お伝えしたいことは主に4つあります。

ライフワークとライスワーク

1つ目は、ライフワークというのは必ずしもそれで収入を得る「職業」でなくてもいい、ということ。対になる概念としてライスワークというのがあり、ご飯を食べるためにするお仕事のことを言います。ですから、仮に通訳がMIKIさんのライフワークなのだとしたら、今の仕事(ライスワーク)をする傍らで、可能な範囲で通訳のボランティアなどをする(ライフワーク)ということでも良いのかなと思います。

今手にしているモノを失うのが怖くて新しいことにチャレンジするのを躊躇する、というのは決して珍しい話ではありません。誰だって今あるものを失うのは怖いですものね。私だってそうです。その怖さを振り切るブースターが、ライフワークに生きる「わくわく感」なのだろうと思っています。私のカウンセラー仲間の1人は「ある瞬間、これがやりたい!という思いが自分の壁を突き破った」と言っていました。今はまだ通訳のお仕事が自分に向いているかどうかわからないとのことですから、ちょっとずるい考えかも知れませんがとりあえず失敗しても無傷でいられる条件(つまりボランティアや副業など)でまずはやってみて、そこで自分の適性や「わくわく感」を見極めてみてはどうでしょう。

やってみたけど違ったなと思えば、とっとと退散すればいいだけですし、やっぱりこれが転職してでもやり続けたいライフワークだ!と思えたら、その時に本気で転職を考えたって遅くはないと思うのです。

ちなみに、ライフワークに取り組むにあたって一番大事なのは、生活費をきちんと確保することだそうですよ!

 

通訳で稼ぐ自分を想像・創造する

2つ目は、「通訳では今ほどの収入が得られない」という思い込みを自分で作っていないかということ。通訳の資格をお持ちだなんて、すごいですよね!MIKIさんは相当に頭の良い方なんだろうと思います。素人の浅はかな考えかもしれませんが、そもそも、通訳のお仕事がどれほどの収入になるかはやってみないとわからないことですから、ある意味で、MIKIさんの思い込み(=今の職業ほどには収入が得られない)があるんじゃないかなと見ています。だって、そこから何か新しい人脈やビジネスチャンスが広がって意外な収入やさらなるお仕事につながる可能性だってあるわけですから、いわば自分で自分の限界をすでに作ってしまっているような気がするのです。

通訳に転職するという発想があるということは、通訳としてそこそこ成功したいというビジョンを持っているからこそだと思うので、それなら思い切って「通訳として成功することにコミットする」ことに取り組むことを提案したいです。具体的には通訳の世界ですでに成功している人のイメージを自分の中に取り込み、1つ1つできることを積み重ねていくということになりますね。その際に、「もし自分の中に通訳として成功することに対する恐れがあるとしたらそれは何か?」ということをよくよく考えてみてください。そして、それを打ち消す根拠も同時に考えて、「怖れる必要はない」と自分で念仏のように唱えるといいですよ。

 

奨学金の壁?

3つ目は、「大学まで奨学金なしでいれてやるのが親の使命」という信念で自分を縛り付けていないかということ。これまたすごい信念をお持ちでいらっしゃいますね!このことについての是非は申し上げる立場にありませんが、この信念、つまり学費を確保するために今よりも収入を減らすわけにいかないという考えが、少なからずMIKIさんがライフワークに生きる足かせになっているのだとしたら、そりゃ悩むのも無理はないだろうと思うのです。我が子のためを思うがゆえ、また親としての責任感を持っているがゆえ、とも言えますが、それにしてもこの信念を持つにいたった経緯を今一度振り返ってみて欲しいのです。

 

◯自分の親がそうしてくれてとても良かったから、自分もぜひ我が子にそうしてやりたい。
◯その逆。自分が奨学金で苦労したから、我が子にはそんな思いをさせたくない。

このどちらかであれば、「自分軸」で決めていることなので、この信念にそれほど苦しめられることはないのではと思います。では次のような場合だと、どうでしょう。

 

◯「奨学金を使うなんて親失格だ」みたいなことを誰か(たいていは親や親せきかな)がそう言っていたから、そうならないようにしたい。

これは奨学金を使うという事に対して何かネガティブな言動を見聞きしたことがあって、自分はそうなりたくないと思った経験があったりするのかも知れませんね。自分がいい親かそうでないか、誰かからジャッジされたり烙印を押されたりすることへの怖れがあるとも取れますし、それでは「他人軸」になってしまっている状態です。

 

ここで、「与える」と「犠牲」について少しお話しましょう。

相手のために何かをする時、表面上は同じ行動でも、愛から行うことを「与える」と言い、怖れから行うことを「犠牲」と言います。やっていることは同じなのですが、愛に基づく「与える」行為は、それをしたあと自分の中に充足感や達成感、喜びが出てきます。一方、「犠牲」はと言うと、誰かのために自分が幸せではない行動を採用するので「本当はしたくないけど仕方なくやっている」ことになり、たとえいい結果になったとしても充足感は得られにくく、疲労感が残ることもあると言われています。

 

MIKIさんの場合は、学費を稼ぐためにイヤな仕事を我慢したり、怒られることに耐えたりしているわけですから、今の仕事を続けることは、「犠牲」という行為に他なりません。先ほどの問を繰り返しますが、なぜそれほどに自分を追い込んでまで奨学金を避けて学費を稼ぐことにこだわるのか、ということについて考えてみてほしいのです。そのうえで、「やっぱり学費を貯めたい。それが自分の喜びにつながるよ。」と思うのであれば、それは自分軸で決めた行為になりますから、今の仕事はライスワークということである程度は割り切れるんじゃないかと思います。もしそうでないとしたら?お子さんたち、母親が嫌な仕事を無理に続けて稼いだ学費(心理学では、私たちは潜在意識の深い所でつながっていると考えられていますから、はっきり口で言わなくとも、お子さんたちにもそういう雰囲気は伝わっていくものと思います)を心の底から喜んで受け取れるでしょうか…。

母としてどうありたいか

4つ目は、母として子どもたちと十分に向き合いたいという願いをどう扱うか。今のMIKIさんは、現在の仕事を続ける限りはそれが十分にできないと感じていて、子どもたちへの罪悪感や母としての自信のなさにつながってさえいるのかも知れませんね。私個人としては、MIKIさんは今でももう十分によくやっていると思うのですが、自分ではそう思えないから苦しいのですよね。これに対する対処は2通りあるかと思います。

まず、物理的に時間を作るたにめ、それこそ転職なり配置転換なりを実行する。もう1つは、今できていることに目を向けて、そういう自分を肯定していく。

どちらのほうがやりやすそうですか?上のお子さんが来年小学校ということで、ライフスタイルも変化していきますし、発達に遅れのあるお子さんもいらっしゃるとなると、MIKIさん自身の不安も大きくなる時期かと思います。僭越ながらワーキングマザーの先輩として申し上げるとするならば、子どもにかける時間はどうしたって限られますから、今の環境の中でやれることやできる範囲のことをするしかありません。他のママと比べてもしょうがないことなので、「よそはよそ、私は私」という言葉をくり返しながら、どんなにダメな自分でも許す、ぐらいの気持ちが持てるといいですね。

もっと言うと、もし許されるのであればいったん仕事のペースを落とし、納得いくまで「母親」をやってみるという考え方だってあるわけですから、要は、自分のキャリア・収入・母としての時間を天秤にかけて、自分はどうしたいか、どんな人生を送りたいかを常に考え続けることです。

あとは、何か些細な事でいいので、1つ、親子の触れ合いを習慣にするといいですよ。そうすると、「ママはいつも忙しい人だったけれど、◯◯は必ずやってくれた」という記憶になって子どもたちに残ると聞きました。それがやがては、お子さんたちの心に根を下ろし「自分は母から確かに愛されていた」という確証に変っていくのです。

 

最後に…

私がどうしても気になってしまうのが、MIKIさんは将来のお金の心配をするあまり、「今」に目を向けることを忘れていないかという点です。子どもたちには苦労させたくない、要は「幸せになってほしい」というのが根本にある願いだと思うので、だったら、幸せに生きるとはどういうことかを、ご自分の身をもってお子さんたちに現在進行形で教えることが何よりも大切なんじゃないかなぁと思うのです。MIKIさんが幸せだからお子さんたちも幸せなのであって、MIKIさんの我慢や犠牲の上にお子さんたちの本当の幸せを築くことはできません。ですから、MIKIさんは、自分の心に正直になって自由に幸せを追求していくことをご自身に許可していいんですよ。「今・ここで」幸せな時間を過ごすこと、自分が心地いいと思うほうにハンドルを切っていけば間違いないはず!

 

「オンナは決めるまでに年単位でうだうだと悩み、決めたら脱兎のごとく突き進む」とうちの師匠は申しております。テーマはそれぞれでしょうけれど、あれこれと逡巡するのは何もMIKIさんに限った話ではありません。ですから、こういう場合はやはり「好きにしたら」と言うしかないのです。決めあぐねているのなら今は無理して決めなくてもいいんじゃないかな。チャンスが訪れた時にちゃんとその波に乗れるよう、今から準備を整えながら虎視眈々と「その時」を狙い待つ、というイメージでいきましょう!「その時」がいつ来るかはわかりません。直感で感じ取るのです。ですからその瞬間を逃さないために、日ごろから自分の「感じる心」を磨いておくことを忘れずに。つまりは、自分の本音に耳を傾け、自分が抱く怖れの正体を見つめ、手放し、自分の心に素直になること。すなわち「自分軸」なのです。

ご相談、ありがとうございました☆

<タロットからのみちしるべメッセージ>

気持ちが揺れ動くのはよくわかります。MIKIさんには本来、複数のことを器用にこなす能力がありそうですから、あらゆる可能性を慎重に検討する意味でも、当面は焦って答えを1つに絞らなくてもいいかも知れません。気軽に楽しむ気持ちを持ちつつ、自分の将来について考えてみてくださいね。

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