こんにちは~
心理カウンセラー*Harunaです
根本裕幸師匠のお弟子仲間マミコカウンセラー発案のリレーブログ、2巡目がまわってきました。
前回の私の投稿から、もう1ヵ月半以上がたつのですね。
緊急事態宣言は解除されたものの、感染者が全国的に急増している現状。感染は拡大させたくない、でも経済活動を止めるわけにもいかない、という究極の板挟みに日本中が喘いでいるように感じます。
そこへ追い打ちをかけるかのように天候不順による災害も発生…。私の周りでも、普通ではありえないようなことが続けざまに起き過ぎていて、もう感覚がマヒしそうです。
いや、なんとか今までごまかしながら持ち堪えてきたものが限界になり、一気に崩壊し始めたような、そんな気さえしています。おばちゃんの身体が、もう無理がきかなくなってきているというのもあるけど(笑)
ともかく自分の非力さを突き付けられ、それでも私たちは自分の道を歩いていくことしかできない、そんなことを思い知らされた1ヵ月半だったように思います。
こんな時こそ、自分軸を忘れないことが大事ですよね。
「今、できること」に集中して、1つ1つ丁寧にやっていきましょう。
ではでは、リレーブログ2巡目のテーマは、
私のオススメ・私のとっておき
村松いさおカウンセラーから、バトンを受け取りました(^^)
***
私は絵の展覧会に行くのが好きで、西洋絵画が特に好きです。
好きではあるけれど、お恥ずかしいのですが絵の知識は皆無(・∀・)キリッ
音声ガイドで「ふんふん、そっかー!」と何やらわかったつもりになるのが定番です💦イケメン俳優さんとかが耳元で囁いてくれるのが、これまたたまらんのですわ(笑)
そうやって興味を持った絵や画家さんについて、少しずつ調べたり、他の絵と見比べたりして、自分の世界が広がっていくのがとても楽しいです。
ですが、もう1つの楽しみ方がありまして、それは何かと言うと、
この絵から離れられない!
という感覚を味わうことです。
もっと見ていたい!なんか気になる!
ごくまれにそういう絵にめぐりあいます。1回の展覧会で1枚もないときもあります。
巨匠だからとか、評価が高いとか、技術が素晴らしいとか、そういうのはまったくわからないので(無知なので)、
シンプルに
「絵」と「私」の対話。
絵をきっかけにした自分との対話、と言ったほうがぴったりかも知れません。
近づいたり、少し離れてみたりしながら、なぜその絵に魅かれるのか、自分の中の何が刺激されているのかをじっくり探求するのです。
(あ、なので混雑してる展覧会だと厳しいです!)
ライフワークについて考えた時にも書いたのですが、そうすると、
自分が今まで気付いていなかった価値観に気づいたり、
自分のココロが喜ぶ瞬間を味わったりできて、
「新しい私、発ッ見~♪」って
すっごく得した気分になれるのです✨
ワーイヽ(゚∀゚ヽ 三 ノ゚∀゚)ノワーイ
私にとって、絵はセルフカウンセリングのツールになっているみたい。絵の前で泣いてるあやしいおばちゃんがいたら、それはもしかしたら私かも*:.。☆..。.(´∀`人)
ということで、私が離れられなかったお気に入りの絵画をご紹介します。
美術評論家でもなんでもないので、みなさんにとっては「・・・はい?」みたいな感じかも知れませんが、絵画って一切ウンチクを知らなくても、いろんな楽しみ方ができるんだなぁ~(・∀・)っていう、何かの参考になれば幸いです。
旅する妄想をする
「デルフトの眺望」フェルメール
ここ行きたーい!
って言うか吸い込まれました。
この街には、どんな世界や生活が広がっているんだろうと想像するだけで”わくわく”しかしねぇ!この景色を眺めながらゆったりとごはんを食べたり、街をのんびりお散歩したりしてみたいなぁ。しばらくここで生活するのも悪くなさそう…な~んて、妄想の旅にしばし心が奪われます。
緻密に描写された街の様子からは、この街が遠くまで広がっているという”妄想”が臨場感いっぱいに膨らみます。そして、手前の人物や大きな雲の空と街並みの対比が、この絵のスケールというか奥行き感、さらには街の持つ安定感や力強さといったものをいっそう感じさせてくれます。日の光に照らされる遠くの建造物や港の穏やかな水面の揺らぎの表現はさすがフェルメール。デルフトのひりっとした朝の空気が確かにここに存在しています。
フェルメールと言えば、【真珠の耳飾りの少女】があまりにも有名ですが、私はフェルメールの真骨頂はこの絵だと勝手に認定!
雑なのに本物っぽく見える魔術
「青いドレスの王女マルガリータ」ベラスケス
初めて立ち尽くした絵です。
高校生の時、ウィーンで出会いました。
ビロードの質感の描写に衝撃を受け、「こんなん描ける人間いるの?!」と圧倒されたのを覚えています。
意外にも、近くで見るとけっこう雑な感じのくせに(失礼!)、なんと、少し離れるとビロードそのものとしか思えないんです。ほんと騙されているみたいでした。
写実的な絵は細部まで緻密に描くものだという勝手な思い込みがあったので、余計にこの絵が不思議でたまりませんでした。
「これ、絵やんな?」と何度も何度も、近づいたり離れたり、近づいたり離れたり…を繰り返していたので、周りから見たら明らかに不審者だったでしょうね(笑)
ベラスケスがこの絵を見る距離を考慮して描いたのかどうかは知りませんが、もしそうなら、ベラスケスは本当に恐ろしく天才だと思います。
20年以上も前のことですが、この絵、ウィーン美術史美術館では特にもったいつけるわけでもなく、部屋の隅にちょっろっと飾ってありました。当時の私は、この絵の価値も意味も何も知らず…「忘れられない絵」としてずっと心に閉まってあったのですが、大人になってからテレビでこの絵のことを知り、興奮したものです。
絵は計算して描くものだと知る
「ベルヴェデーレの聖母」ラファエロ
完っ璧に美しい♡
こちらもうら若き乙女の頃にウィーンでお見かけいたしましたが、何が美しいって、構図です、構図。
素人でも5秒でわかる、聖母の頭を頂点とする安定感のある△に加え、中心で光るキリスト、そしてもう一つ、十字架で作られたラインが見えますかぁ???ヨハネとキリストの手がそのラインを強調しておりますよ~。
しかもですね、なんとなんと、十字架のラインと聖母の視線がぴったりと重なるのです!
す…すごい…!
気付いた自分もすごい…(笑)
多分、完璧に計算し尽くされた構図。
く~っ!たまらん♡
そして、聖母が見つめているのはキリストでもヨハネでもなく、十字架ってところがミソだと勝手に解釈。
聖母はやわらかく優しい表情ではありますが、どこか物憂げな感じがするでしょう?キリストが磔にされる十字架を聖母が静かに見つめ、見る者の視線をもその十字架に誘導することで、将来キリストの身に起こることを印象付けていますね。(私、カトリック系のミッションスクールだったので、ここいらへんの基礎知識だけはありました)
それを知ってか知らずか、十字架をしっかりと握りしめる(ヨハネから受け取る)ベイビーキリスト。慈しむように彼に両手を添える聖母。彼の運命を共に引き受け、精一杯支え守ろうとする強い意志すら感じます(あかん!おばちゃん泣けてくる…)。
避けられない運命に向かって時間は流れ、人はそれに抗うことはできない。それゆえに何気ない平和で穏やかなこの一瞬が何よりも尊いものである、そんなことを考えさせられます。
ともかく、絵というものはある意図をもって描かれるものなんだということをこれほどに印象づけられた絵は初めてでした(ラファエロがそんなつもりで描いたどうかは知らん)。
「そこ?!」みたいな意味不明な解説でお恥ずかしい…。
なんせ好き勝手に楽しんでいるので着眼点が多分おかしい(笑)
ほんとはまだまだあるの。私の人生が変わった一番のとっておきとか、まだあるの。ならそれを書けよという話だけど(笑)
ヤメロという声が無ければいつか書くかも知れません(・∀・)
ひとまず、ここまでのお付き合いありがとうございました!
それでは、リレーのバトンをマミコカウンセラーにお戻しいたしま~す(^o^)/
心理カウンセラー*Hauna
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